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元治元年9月17日(1864年10月17日)

【京】京都守護職松平容保・征長副将松平茂昭、各書を幕府に上り、将軍徳川家茂の進発を促す
【上京中】徳川慶勝、書を家茂に上り、上京の途に在るを報じ、神祖家康の例に鑑み将軍の親発を請う。

☆京都のお天気:快晴秋景深 (『嵯峨実愛日記』)

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■将軍進発・征長総督問題
【京】元治1年9月17日、征長副将・越前藩主松平茂昭は、幕府に将軍進発・総督確定を促すために、使者を送りました。

この日、越前藩士嶋田近江・坂野壮九郎が京都を発し江戸に向かいました。将軍の進発と征長総督確定を促すためで、使者に持たせた直書には、総督は別人でもよいので一日も早く確定し、征長の廟算を立て、将軍が不日進発・指揮するよう願うと書かれています。(嶋田らは22日に江戸到着)


【京】元治1年9月17日、京都守護職松平容保は、将軍進発を促すために、公用人小森久太郎を使者として、江戸に送りました。

<ヒロ>
会津藩はひたすら将軍進発を促し続けます。野村左兵衛・広沢富次郎、柴秀治についで、3度目の使者です。小森に持たせた直書は閣老宛(『七年史』)とも将軍宛(『京都守護職始末』)とも。越前藩とはたまたま同じ日に使者を送っただけで、特に連携したわけではなさそうです。

【?】元治1年9月17日、前尾張藩主徳川慶勝は、将軍家茂に対し、上京の途に在ること報じ、神祖家康の例に鑑み、将軍の親発を請いました(綱要)

慶勝は、14日に尾張を出立していました。

関連■第一次幕長戦へ(元治1)(2018/6/10)


【神奈川?】元治1年9月17日、長州藩の外国船攻撃(outrages of Choshu) について、幕府(将軍)と米英仏蘭四ヵ国代表は、300万ドルの償金支払いまたは瀬戸内海の一港の新規開港を取り決めた条約を署名することで合意しました
   
A convention has been agreed on, ready for signature, between the Tycoon and the United States, Great Britain, France, and the Neterlands, by which three mllion(3.000.000) of dollars are to be paid for indemnities and expenses occasioned by outrages of Choshu, to be divided as the said powers shall agree, or at their option a new port will be opned in the Inland sea.
   My collegaues desire the above communicatd to the ministers of their govemenents in Washington.
   I have the honor to be, sir, very respectfully, your most obedient servant,

                     ROBERT H. PRYUN,
                     Minister Resident in Japan

<ヒロ>
償金か下関開港かという話だったはずが、償金か兵庫開港かになっていますね。

参考:(1864年)10月17日付米国公使プリュインの本国宛電報『稿本』(綱要DB 9/22 No5)
関連:■「開国開城」28 横浜鎖港問題と江戸の政変、四国連合艦隊の下関砲撃事件 ■テーマ別元治1四国艦隊下関襲来

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